
救急の日 医療者だから思う救急時への思い
- Hiromi

- 9月9日
- 読了時間: 2分
救急の日にちなんで。
私が看護師になり重症集中治療室で働いていた頃。
現場は刻々と表れるデータと画像と所見を分析し未来に見越しをつけ
今すべきことを選んでいく。
現状維持か、新たな手を打つのか、省くのか…と。
急な変化(=急変:きゅうへん)と隣り合わせの難しい時期にいる患者さんもいる。 そうならばいつ何があっても対応できるようにと場を準備し、皆も心づもりする。 何かが起きて救急車で運ばれてくる患者さんをみる事が大半だけど 病院内で起こる急変に呼び出され駆けつける事もあらば 目の前の患者さんで起こることだってあった。 どんなに機材やマンパワーや環境があったって 急変の現場に立ち会い、その人の危機に出来る限りのことをして生命に寄り添おうと努力した時 その後、頭から離れない...何度も思うものだった。 あの時の対応は間違ってなかったのか もっとできる事はなかったか。 あの時こうしていれば起きなかったのか... 例え患者さんが危機を乗り越えたとしてもどこかで反復するのである。 その自分への問いを少しでも助けるために 心臓停止や呼吸停止に対する一次救命処置であるBLS, 二次救命処置としての医療的判断による処置や介入技術であるACLSを取得し 自分にとっても反復して知識と技術のブラッシュアップにと休みの日に BLSは講師側へと講習に参加していった。 それでも急変の現場に立ち会えば 対処に対する後悔は減っても 命に対する寄り添いへの反省は払拭できないものである。 もしこれが自分の家族や近しい人たちとならばなおさら。 こうなる前に、こうしておいたらこんなことにならなかったかも… せめてあの時、させてあげればよかった… もっと優しくしてあげればよかった もっと…もっと… と急変より前にその人と関わった自分を振り返り 悔んだり、辛く思ったりするもの。 急変時に立ち会ったら、それが加わり辛すぎる。 医療者だから思う救急時への思い…それは 救急車がくるまでの一次救命処置を知ることは それを必要とする人の生存の可能性をあげるだけでなく 目の前の命に寄り添う自分の為にと思っている。
大切な人であればあるほどね。
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