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今はもう減る機会のない用紙。義父の悉皆屋通信から私のちりもつもればへ転身させる

  • 執筆者の写真: Hiromi
    Hiromi
  • 6月10日
  • 読了時間: 3分

先月金継ぎ教室で名古屋に出た時

帰宅までの時間に久しぶりに

時間の都合があったので名古屋の知り合いに会うことにした。


以前彼が毎月出版する同人誌にエッセイの連載をしていたことがある。

時にはタイトル別でもう1つエッセイを書かせてもらったほど

色々勉強させていただいた5年間だったんだけど

それ以降も時々こうやって連絡しては会っていた。


いつも話して思うことは

本当に彼は書くことが好きな人であり

読むこと、また言葉の書き落とし方でらしさを楽しむ人なのであるということ。


会うといつも話を楽しみにしてくれる。


だいたいいつも

「おまえ、それ面白いじゃん!

 自分の視点で書いてみてみたらいいじゃん」

ってどこかで1回はいう。

そしていつも話を膨らませて妄想していく。

モクモク、モクモクと。


自分の何気ない事は

誰かの励みになるかもしれないし

楽しみになるかもしれない。

または有益な情報となって誰かの救いにもなることだってある。


小説や文学、記事と違い

読み手次第なのだというスタイルで

書き綴ればいいって。


そんな話の中で

手書きでかく新聞のようなものを作ってみたいということがあったのを思い出した。


デジタルで発信する文章とは違い

たまたまこの印刷物に出会った人だけが手に取り

読めるもの。

誰からも期待されるわけでもなく

気負わずに私だから故に書く内容を綴っていくものを。

そう思った時に義父が綴っていた悉皆屋通信を思い出した。


「悉皆屋通信」

これを手に取って読まれていたかたはしれるほど。


私の義父は

初代の祖父や今までの仕事に関わってくださった方々への

敬意を強くもち家業の悉皆屋の仕事に心から尽くしていた。

彼しか知らない京都の風景や暮らしを書き綴っていた義父

数えれる分しか発行出来ていなかったけど

彼の言葉のリズムや文章から

見える景色や人柄にファンがいたのは確かだった。


そんな域になりたいと思っているわけではないのだけど

義父が書き綴る予定で残していた紙が

減ることもなく私の目の前にある。

捨てる事は簡単だけど

一緒に取り組んで互いの楽しみのような印刷物だったから

私にとっては数少ない義父との思い出を

なくしてしまうような気がして

捨てずに置いてある。


それなら

義父から紙をお分けいただいた気分で

私も手を動かして

自己が満足するだけでもいい腹づもりで

新聞的な通信のようなものを書いて印刷しようと思う。


義父が残してくれた紙に

彼の半分ほどしか生きていない未熟な人生の言葉だけど

この紙に出会った人だけが

読むことができる文章を綴って

その出会いを楽しんでいこうと思う。


ちりもつもれば


そう。

この想いで、京都に移住した私がみる京都とその暮らしを中心をに

手書きで小さな紙に書き綴り

数部だけ印刷して

静かにそっと置いておく。


目に留まった人だけが手に取ってくれたらいい。


自分にタスクを作らずにおおらかに言葉を載せていきたいから

発行ペースは特に決めない。


まずは今月中には第一部書こうと思う。


そう意気込んで名古屋からの京都に戻る新幹線に乗った。



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